祖父が亡くなりました。
80歳、日課だった銭湯通いの、正に入浴中に。
患っていた心臓の病が直接の原因だったそうです。
自分で運転した車で銭湯へ行って、大好きなお風呂で逝く事が出来たのは、とても幸せだったんじゃないかなあ、と私は思います。
祖父とは、私は生まれてから祖父が実家である富山県へ行ってしまうまでの15年間ずっと。
その後は上京するまでの5年間たびたび会って、いろんな事を話しました。
反抗期にはやはり話しかけたり関わる事が少なくなってきて、でもその度に最初になくなった祖母の葬儀に感じた、多くの後悔。もっといろんな事を話したり、知ったりしたかった、という想いが湧いてきて独りぼっちで住んでいる祖父の事が心配になって電話したり、実際に会いに行ったりしました。
だから、通夜、葬式や火葬する、あの最後の瞬間も、それほど悲しくは無かった。
不確かだけど、確かな事があって。
それは生前の祖父と「たとえ爺ちゃんが死んでも、守護霊になって健太の傍にいるからね」と何度も約束をしたそれが、幼稚かと思われるかもしれませんがどこかで信じていた事だと、漠然ですけどそう思うんです。
死別がそれほど辛くなかった、祖父と私の間に未だ途切れぬ繋がりがあるような気がするんです。
言葉が聞こえるわけでもないし、姿が見えるわけでも、夢で語りかけてくれる事も無い、とても不定確な、あやふやな物ですけど
そんな中に、揺るがない“確かな物”がある、と思うんです。
おじいちゃんありがとう、また会える日まで。
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